はい
クリックありがとうございます。
考察を読む前に、これは私の妄想および自己解釈ですので
文末に「~と思う」をつけて読むことを推奨します。
じゃあいっちょ行ってみようか
崖の上のポニョ。
これ、表向きは、ポニョが宗助に憧れて
苦難を乗り越えて人間に変身する(人間世界に来る)って話ですが
ポニョが宗助に会いに行くために起こした大津波で、宗助の島って一回滅んでるから
実はポニョが人間世界に来たんじゃなくて
宗助のいる島ごと全部、ポニョの世界に持っていかれたって話なんですよね。
さらにポニョの名前。
本編でもしっかり言ってるとおり、彼女の本名は「
ブリュンヒルデ」です。
神話に登場する、人間世界で戦死した戦士達をスカウトして
主神オーディンの部下にするのが仕事の神様です。
つまり、ポニョは死んだ人間しか自分の世界に引き込めないわけですから
「ポニョの世界=死後の世界」ということになります。
ボートの上のシーンは、非常に見所の多いシーンです。
赤ん坊にキスして泣き止ませていますよね。
これは、まあぶっちゃければトドメです。
あの時点では既に、赤ん坊の親は死んでいましたが
赤ん坊だけはまだ生存の望みがあったんです。
だから親がずっと(天国行きが決定してるのから)ニコニコしていて
子供だけが泣き叫んでいたんです。
まだ死にたくない、もしくは親と別れたくない、というところでしょうか。
これをポニョが、魔法で死後の世界に送ってあげています。
キスした次の瞬間、迎えの船も現れていましたしね。
しかし、ポニョは赤ん坊を殺すつもりはなかったのです。
キスする前にスープをあげたり、サンドイッチをあげたりしてますよね。
しかし赤ん坊のお母さんに、「赤ちゃんは食べられないから」といって
拒否されてしまっています。
このサンドイッチやスープ、生き返り薬のようなものだったのでしょう。
最終的にはポニョといることを選んだ宗助と違い、
赤ん坊は生きることを選んだ(スープを欲しがった)ので
ポニョは生き返らせてあげるつもりでしたが、赤ん坊は薬が飲めなかったため
やむなく殺した、といったところでしょうか。
また、赤ん坊のお父さんが、
「使い切りだけど、僕にはもう必要ないからあげるよ。君ならいるかな」
といって、ろうそくを渡してくれます。
これはつまり「命」なわけで
宗助はこの時点ではまだ生きてるのですが、父親は助からないことが記されています。
最も注目すべきキャラクターは、トキばあさんです。
彼女は宮崎監督の母親がモデルだったそうですが
最終的に、最後まで生き残っていたのは彼女と宗助、リサのみです。
(まあ、結局は二人ともポニョにキスされてしまうわけですが)
終わってから考えれば、「津波が来るから早くポニョを捨てな」の台詞。
ただひとり、あの状況で現状を把握していたのでしょう。
冷たくあしらっているように見えても、最後まで宗助を生かそうとしていたのですね。
ここまで書くと、まるでポニョが死神みたいですが
そうじゃなくて、ポニョは「みんな幸せになる世界」を作ろうとしてただけ、なんだと思います。
たまたまそれが死後の世界だっただけなんです。
これまでのジブリ作品は、ナウシカにしろ千と千尋にしろ
主人公は自分の世界に戻ってきてるんですよ。
パズーとシータは、いちどラピュタに着いても、地上に降りてきていますし
ナウシカはオームを森に帰しましたし
千尋は人間世界に戻ってきましたし
アシタカはサンと決別し、人と共に生きる道を選んだのです。
ところが、宗助はポニョと共にいる世界を選んでしまいました。
これはいままでのジブリにない、凄い変更点です。
「向こう側の世界から帰ってくる方法」を提示してきたジブリ作品が
今回初めて「向こう側でも(死後の世界でも)みんなが幸せならいいじゃない」
というテーマに触れたのです。
この考えかたって、人それぞれですよね。
一般的道徳論で言えば、やっぱり戻ってくるのが正しいのでしょうし
「二次元いきてー」とかいうのは、もう完全に後者ですしw
ちなみに、私はどっちかっていうと
幻想郷行きたくてしょうがないです。
崖の上のポニョ、とても興味深い作品でした。
まだまだ掘り下げられそうです。
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子供は純粋にストーリーを楽しめて、大きくなったら別の楽しみ方がある。
トトロ死神説の時もそうでしたが、あのおっさんはホント面白いことを考えつきますよね!
コメントありがとうございました!